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4/23(土)10時~11時半 「信長に赦され、秀吉・家康に愛された古民家群の今井町を奈良ソムリエと歩く会」(参加費無料、事前申込制)

4/23(土)10時~11時半 「信長に赦され、秀吉・家康に愛された古民家群の今井町を奈良ソムリエと歩く会」(参加費無料、事前申込制)

大阪・京都から近鉄急行で1時間圏内❗”信長に赦され、秀吉・家康に愛された”600戸もの古民家群の今井町を奈良ソムリエが解説します。一緒に歩く”午前”にしましょう❗(参加費無料、事前申し込み制)
日本最大級の古民家群がある奈良県橿原(かしはら)市今井町で、奈良ソムリエが歴史的解説付きの町歩きを行います。
当日のプログラムは、500年前の戦国時代に形成された寺内町(じないちょう)である今井町(東西600メートル✖南北310メートル)を散策し、「信長・秀吉・家康」3英傑の足跡をなぞりながら、世代や地域を超えた”今井町での半日足らずのご縁”を楽しみたいと考えます。

・参加募集人数(限定6人)
・開催日時:4月23日(土)朝10時~11時30分
・当日の解説者:Moriyaさん(奈良ソムリエ、注1)
・申込方法:今井町見晴らし茶屋「ももや」のインスタのDMで先着で決定。DMに「4/23今井町散歩希望」と書き、参加申し込み者の名前、○○歳台、住所(市町村単位まで)を明記して送信願います。「ももや」からの返信をもって、参加できる。
・当日の集合場所:橿原市今井町内(近鉄橿原線「八木西口駅」から徒歩3分、近鉄大阪線「大和八木駅」から徒歩9分)。参加申込者に個別にお伝えします。

注1:◎奈良ソムリエ
正式には「奈良まほろばソムリエ」。出題数は
マークシート 択一式 25問以内
および小論文式問題 3問以内
程度・内容
●奈良県の歴史や文化について
 専門的な知識レベル
●奈良大和路の語り部として、
 県民や観光客にその魅力を発
 信することができる
合格基準
マークシート択一式・小論文式で、合わせて70%以上の正解をもって始めて合格できる難関検定として知られている。

【今井町メモ】
・歴史上に名が出てくるのは、1386年(至徳3年)に五重塔や阿修羅像でも有名な興福寺領(私有地)として、「今井庄」。実質的には室町時代中期1533年(天文年間)の寺内町(じないまち)の成立。

・戦国の荒れた時代に、一向宗の問徒であった今井兵部という僧が防衛のため、”武装宗教自治集落”として御坊(称念寺、しょうねんじ)を開いた。今井町は、いわば堀と土手と小橋で囲われた環濠(かんごう)ゾーンであり、9つの門からしか町に入れなかった。

・天下統一を目論む織田信長に敵対するも、本願寺の降伏に伴い、1575年(天正3年)、明智光秀や堺に住む今井町出身である三代茶人の今井宗久や津田宋及の仲裁で和睦に持ち込み、門や堀を撤去し、武装放棄しました。同年信長は今西家に本陣を置き、「万事大坂同然」と自治特権を許され、商業の街として発展を遂げます。その賑わいは「海の堺、陸の今井」と呼ばれる。「堺~今井町」間は、二上山を越えて、1400年前の日本最古の官道である竹内街道から横大路を歩いて、約40キロと意外と近い。大阪夏の陣の際は、豊臣方と激戦があるも、河合清長以下鉄砲隊の活躍で町は無傷のままが堺との違い。その功績で、家康はその功績を称え、薙刀を贈り、今井の西口を守ったため、「今西」とすることを勧めた。

・「黄金の日日」(城山三郎)は、安土桃山時代( 1568年 – 1600年)、主人公助左は、今井町出身の豪商兼茶人である今井宗久の納屋番として奉公する。謹厳実直にして大胆な性格を今井の当主・宗久に認められて交易船に乗る。父の名は甚九郎・母の名はおきく。両親共に堺の豪商・今井の奉公人。助左の憧れの美緒は、人買いに売られるところを今井宗久に養女として拾われている。ドラマは、、今井宗久の子供である今井宗薫の妻・美緒をめぐる宗薫と助左衛門らの争いを描いている。

・その後は、巨大な在郷町(ざいごうまち)、今風にいえば綿・絹・酒・醤油・味噌・材木等の”商工業都市”として経済発展。

・1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦後、一時幕府の天領になり、二度目の天領になった1697年(延宝7年)頃は今井町の最盛期で、1634年(寛永11年)には銀札(今井札)を発行するまでに至り、「人口4000人、家数1082軒」と大きく裕福な町でした。

・「ももや」がある北尊坊通りは、順明寺まで別名”北御堂”と呼ばれ、「黄金通り」でした。北尊坊通りの山尾家の屋号は新堂屋で、「今井の新堂屋、お金持ちで、金の虫干し、玄関まで」と唱われました。なぜ“虫干し”が必要だったかは、小判でなく、1634年(寛永11年)、地域通貨の「今井札」の発行が許され、取引が紙幣だったからです。

さらに、現在の南都銀行畝傍支店跡(今井町1-3-13)は、1896年(明治29年)に、今井町の没落豪商達や篤志家が「畝傍(うねび)銀行」として立ち上げた金融機関だった。

・今井町出身の今井宗久(千利休と津田宗及とで、天下三宗匠)は、織田信長・豊臣秀吉と二代仕え、良好な関係を築き、吉野詣の途中、今井町の茶室に招き入れ、お茶を振る舞ったとの記録がある。それが現在、毎年5月に行われる「茶人行列」に伝承されている。秀吉や宗久に扮した町人が北尊坊通りや御堂筋等を歩く。

・明治天皇も明治10年(1877年)に御堂筋の称念寺に、皇后は北尊坊通りの順明寺に宿泊される。北尊坊通りの山尾家には、明治政府を代表して木戸孝允(きどたかよし)と三条実美(さんじょうさねとみ)が宿泊。

・ユネスコから世界遺産への打診があるも断る。京阪神から電車でも1時間圏内にある便利な「今井町」が世界遺産に登録されていたら、毎年100万人以上が来町し、町は風情がなくなり、落ち着いて生活できる状況ではなくなり、単に騒がしい観光地になっていたかもしれない。

・今井町は、「日常が非日常の町」。大阪や京都に近鉄急行で1時間圏内の距離であり、普通に住民が通勤・通学している。キーワードは、「つし二階」「虫籠(むしこ)窓」「煙出し」「本瓦葺き」「駒つなぎ」「環濠(かんごう)集落」「あて曲げ」「鍾 馗(しょうき)様」

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