日常が"非日常"の町-今井町

           古商都の情緒と風情が満喫できる見晴らし茶屋で一息。

   信長に赦され、秀吉・家康に愛された奇跡の町

                  江戸時代の町家が“真空パック”された「今井町」に
             生まれた情感溢れる景観が楽しめる見晴らし茶屋

かつてご法度だった景観が今味わえる茶屋

昭和の開放的な二対の窓からだからこその奇跡

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今井町見晴らし茶屋
「ももや」

誕生

江戸時代の町家は、武士を上から見下ろすという
ことを憚ることと、建物の耐久性の問題もあり、
二階は屋根が低い「つし二階」で、しかも
牢屋のような「虫籠(むしこ)窓」であったため
景観を楽しむという発想は、そもそもありません
でした。
しかし、昭和四十年代の建物である「ももや」は、
視界が広い2階の北と東の4対の大きな窓から
今井町の景観や、西のバルコニーからは遠く
二上山方面の夕陽を臨むことができます。
”21世紀の今””だからこその奇跡の景観を伝統の
大和の和紅茶や果実葉茶等と共にお楽しみ下さい!

「奈良(=大和)を紡ぐ」ことも「ももや」の使命。「ももや」は茶葉を奈良・月ヶ瀬の大和茶から取り寄せていますので、現地の茶山・茶園を周りました。

「見晴らし茶屋」2階客間は、吉野のヒノキや杉、ケヤキ等をふんだんに取り入れ、大胆たつ繊細にリノベーションしました。
”まったり”窓から町家を眺めていただけるように、開放的で心休まる「和モダン」テイストを実現しました。

「ももや」の屋号の由来は、「桃」の木から。桃の木は、中国から大和の国に伝来されたとされ、病魔や厄災をよせつけない不老長寿の仙木で、とても縁起のよい植物です。
女王卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3世紀初め~4世紀初め)では、放射性炭素年代測定を実施したところ、西暦135~230年とみられる桃の種が3千個近く出土され、まさに桃源郷だった模様。田原本町には桃太郎伝説もあり、今井町が町として誕生したのは室町時代後期(戦国時代)の1533年ですが、「海の堺、陸の今井」として大きく発展し始めたのは、信長・秀吉の安土”桃”山時代(1573-1603年)から。
今井町の町家の瓦にも縁起が良いとされる桃の意匠が多数使われ、町は桃との深いご縁があり、採用しました。