大和の"茶飲み話"

大和の和紅茶は、もう一度”世界一”になれるか⁉️

6年前のテレビ朝日「相棒」season12の13話で、次のようなセリフがありました。ドラマの中で英国通が、「このセイロンティー、(中略)、その茶種は日本から持ち出した”べにふうき”だ。因みに奈良県で作られた紅茶が50年も前にイギリスの品評会で最優秀賞を取っている、本当の紅茶好きは産地に関係なくその味を楽しむもんだ」と言います。つまり、大和の和紅茶(=地紅茶)が”世界一”になっています。

2016年12月に行われた「第15回全国地紅茶サミット in 奈良」の開催告知サイトでも、英国での紅茶品評会での奈良の快挙”を以下のように記述されています。

「戦後、日本産の紅茶は輸出用として研究が進められ、紅茶専用品種の育成や紅茶機械の製造・紅茶製造方法の研修会など活発に行われていました。
静岡、三重、奈良、高知、大分、鹿児島などで紅茶専用品種が植えられ、紅茶工場が稼働していました。とくに 1958 年(昭和 33 年)には、奈良県産の「べにほまれ」という紅茶品種でつくった紅茶が、ロンドンの全世界紅茶品評会で最優秀賞を獲得するなど、国内だけでなく世界からも高い評価を受けていたようです。
しかし、1970 年代の輸入自由化により、国内の紅茶品種のほとんどが緑茶用品種に植え替えられ、紅茶工場は閉鎖され、事実上、日本の紅茶産業は姿を消しました」

半世紀以上前のこの快挙”は、相撲大会に例えれば、英国出身の無名の新人がいきなり並いる日本人力士をバッタバッタとなぎ倒し、大金星を挙げたことに近いかもしれません。

記録では、昭和35年には、森永製菓が大和高原に紅茶製茶工場を設置、波多野村(現山添村)には約 20ヘクタールの紅茶園と民間企業による紅茶工場があったとされています。ただその後、アジアでの価格競争の前に敗れ、1970 年代に工場は閉鎖。紅茶品種「べにほまれ」は大和高原のあちこちで植えられでいたようですが、 紅茶製造のため本格的な収穫がされることなく緑茶品種への植え替えられるか、耕作放棄茶園となってしまいました。月ヶ瀬地区等にも当時の茶樹が細々と残っているだけです。

現在では大和高原を中心には、推計で2t以上の紅茶が生産加工され、復活のきざしがあります。「ももや」も月ヶ瀬で和紅茶の復権に取り組む「月ヶ瀬健康茶園(岩田文明代表)」の活動に共鳴し、お店で吉野の「ごろごろ水」を使用して、提供をしています。

もう一度、世界に誇れる大和の国の和紅茶を復活させる日は遠くないと信じています。そのためには、「ももや」も大和の和紅茶を茶屋や自宅で気軽に楽しむ文化醸成の一助になれれば幸いです。

【参考】朝日放送テレビ「Life~夢のカタチ」「月ヶ瀬健康茶園(岩田文明代表)」の巻
https://www.asahi.co.jp/life/old/backnum/130608.html