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  3. 3/31(木) 22:00〜23:00 🌍クラハ第35回「古民家大学」事前資料 〜今井町の巻

3/31(木) 22:00〜23:00 🌍クラハ第35回「古民家大学」事前資料 〜今井町の巻

(上写真:今井町の通り。電線を地下に埋め、通常のアスファルトでなく、土に近い色合いにするなど、行政の工夫が見られる)

3/31(木) 22:00〜23:00 🌍クラハ第35回「古民家大学」事前資料〜今井町の巻

【今井町の歴史〜信長に赦され、秀吉・家康に愛された町】

【今週のテーマ〜重伝建保存地区「今井町」(奈良県橿原市)の今】

0.今井町とは?(橿原市のウェブサイトから引用抜粋)
奈良県橿原市の中部、飛鳥川の流れにかかった蘇武橋を渡ると、現在も江戸時代そのままの情緒と風情を残す町、今井町がある。
 多くの古民家が現存している今井町の町並みは、歴史的風致を形成している伝統的な建造物群の中でも特に価値の高いものとして、平成5年に「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けている。東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物戸数約760戸のうち、約500件の伝統的建造物が存在しており、これは地区内の数としては日本一を誇る。また、国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件と、町内には多数の文化財が存在している。当時の地元の建材を用い、職人の緻密な技術を施して建てられた家々は、土地の風土や自然、歴史を色濃く反映しており、民家建築の貴重な財産だといえる。
 また、そういった家々が立ち並ぶ様子、地区を取り囲むように設けられていた環濠跡、屈折している通り、牛馬をつなぐための”駒つなぎ”など、今井町の造り自体にも、商業が繁栄し、外部からの侵入者を拒絶し独立した自治都市を築いた歴史が表されている。
 現代にはない重厚な雰囲気の町の光景は、まるでタイムスリップしたかのよう。はるか昔の生活に思いを馳せながら散策すれば、きっと時間もあっというまに過ぎるだろう。


◎もう一つの側面は、「ユネスコ世界遺産」制度時、打診あるも、登録を断っていた。

2017年1月26日号の「週刊現代」で、今井町の町並みが、重伝建保存地区に選定されれ1993年頃、ユネスコの「世界遺産」に登録されるチャンスがあったことが記述されている。
「実は世界遺産について日本人の多くがあまり興味を持っていなかったとき、ユネスコが橿原市に対して今井町を世界遺産に登録したいと言ってきたんです。
父親(今西家)にその話が来たんですが、今井町の人が誰も世界遺産についてわからなかったので、『今井は反対だ』と言って断ってしまった(笑)。」
(白川郷は1995年12月に、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産へ登録)

もし、京阪神から電車でも1時間圏内にある便利な「今井町」が世界遺産に登録されていたら、毎年100万人以上が来町し、町は風情がなくなり、落ち着いて生活できる状況ではなくなり、単に騒がしい観光地になっていたかもしれない。

2020年7月放映のテレビ東京系の「アド街」で「日本の宝」のNo1に選出された今井町ですが、キーワードは「(古民家群に)普通に生活している」ということで、その魅力を伝えてくれている。
https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/smp/backnumber/20200704/140789.html

1.古民家ならぬ新民家(更地からの新築)も誕生している!

1.町家(古民家)のリノベーションafter

before リノベ前の惨状

2.蔵のリノベーションafter

蔵before

3.称念寺(しょうねんじ)の12年にわたる大リノベーション

◎外壁のリノベーションbefore

◎外壁のafter

3.順明寺(じゅんみょうじ)の今週

今井町の北尊坊通りの夕刻

【今週の古民家関連ニュース】
1.古民家を探している人と大切な古民家を売りたい人。
その人たちをつなぐサービス
古民家Bank
◎古民家が市場に現れにくい理由の分析
●所有者が売却を考えていない
●所有者が「信頼できる人に受け継いでほしい」というお気持ちから、不動産会社を通して売りに出されない
●不動産会社に依頼するも売却を断られた
(市場ニーズからかけ離れた古民家の場合、古民家売買のノウハウがない不動産会社に依頼した場合など)
●老朽化が進み、所有者自身が売れるとは思っておらず、そのまま放置されている
●農地やお墓があり、売るに売れない

2.安曇野の古民家に暮す
サイト

「耐震性は、どうなんだろう?」の項にも書きましたが、古民家は現代の建築基準に則って造られているわけではありません。現代建築が“住宅の骨組みを基礎に完全に固定して転倒を防止する”という思想に基づいて造られているのに対して、伝統建築は正反対の発想で組み上げられているのです。

 それは、家屋の土台を基礎に固定せず自由な状態にしておき、玉石の上に頑強な木造骨組みで造られた住宅を乗せるほうが、地震の力を吸収できる……という考え方です。

 今日で言うところの、免震工法とか制震工法に近い理屈です。激しい揺れに襲われると、束が束石からズレたり、曲がったりしながら地震のエネルギーを散らして、建物を守るという発想なのです。

 事実、2000年に発生した鳥取県西部地震では、阪神淡路大震災に比べて家屋の倒壊が少なかったそうですが、その原因は「伝統工法の家屋が多かったからではないか」と京都大学防災研究所が調査報告にまとめています。(林 康裕「鳥取県西部地震・芸予地震 -木造家屋被害調査-」) 

 ただ、伝統建築の耐震面の優秀性が知られるようになったのはごく最近のこと。世の中の一戸建て住宅はほぼ100%、ガチガチに固めた基礎に家を固定して造られています。

 実はこれ、法律の縛りがあるからなんですね。1950(昭和25)年に改正された建築基準法では、

 ■土台は、基礎に緊結しなければならない。(施行令第42条2)
 とされていて、以来、新築物件は基礎を土台に必ず固定しなければならなくなりました。

◎古民家は「既存不適格」住宅か?!
新耐震基準ができる1980年以前に建てられた家に住んでいたら、「既存不適格」。「既存不適格」とは、その建物が建てられた当時には合法であっても、今の法律に照らしあわせれば基準を満たしていない、という状態を指す。世の中の8割の家は「既存不適格」だといわれる。「既存不適格」は、今ある法律を守らずに建てる「違法建築」ではない。
1950年の建築基準法制定当時は「早く安く建てるために安普請な家が広まっては困るから」という最低基準としてできたのが、建築基準法。地震の被害に対応してその基準がより堅牢に、変形しないような建物寄りへとシフトしてきているため、「昔の基準はクリアしているけれど、今の基準だとダメ」という「既存不適格」建物がたくさん生まれる結果となった。

大地震が起きるたびに、基準法はさまざまな点において、規制を強めている。たとえば、基礎。基準法制定当時は、底板無し、鉄筋無しのコンクリートでよかった。それが、昭和35年には底板付きにしなければならなくなり、昭和55年には鉄筋入りでなければならなくなった。さらに平成12年には基礎の大きさや鉄筋の太さなど寸法までが法制化されるようになった。

筋交いを入れた耐力壁の必要量も、年々増え、しかも、壁のバランスのよい配置まで考えるように求められるようになる。また、筋交いを止める方法も、基準法制定当時はかすがいで止めるだけでよかったのが、釘打ちの本数や土台に止める場合の金物の用い方なども決められ、筋交いが「よりしっかり、堅固に」入るようにすることが求められる。制定当時の「最低基準」では、地震には耐えられない。より地震に耐えるようになるために、もっとかたく、しっかりとつくるように具体的に規制を強めていく中で「今の基準には及ばない」既存不適格建物がたくさんでてくる。

そして、築70年以上前の多くの古民家は、伝統構法であり、今の基準法でははかれないから、基本「既存不適格」となる。

伝統構法の古民家は建築基準法のものさしが厳しくなっなったからというより、もともと建築基準法のものさしで「測れないから」不適格となっている。基準法には制定当初から「基礎の上に土台を載せ、その上に家を建てなさい」「筋交いを入れた耐力壁をつくりなさい」という基準がある。コンクリート基礎がなく、玉石の上に柱を載せただけの「石場立て」の家や、開口部が多くて耐力壁として数えることのできる要素が少ないような古民家は、基準法制定時からすでに「既存不適格」となってしまう。

世界最古の木造建築である法隆寺も、昔から残っている武家屋敷も、京都や奈良の町家も、築50年以上を経てなおしっかりと建っている「昔からある家」も、みんな「既存不適格」。『何百年と続いてきた伝統的な木造の技術は、戦後の木造軽視の風潮を乗り越えてかろうじて残ってきた。今まだ知っている人がいるうちに次代に継承しなければ、将来にわたり引き継がれない。国がつくった法律に取り残されてきたために風前の灯となっている日本の住文化。それが無惨な「既存不適格住宅」とはあまりに残念だ。

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